「あの頃」で夢見た「今」への執着

いよいよのいよいよ、「もうすぐ俺がやってくるぞお~~」と冬が脅かしてきましたね。季節で一番嫌いなのは、腹壊しがちになり、指先冷やしがちになり、引きこもりがちになる冬です。雪は好きなんですけどね。はしゃげるし、まっさらなほど真っ白な色に癒されるし、溶けている途中で土が混じって茶色くなるのもなんだかうっとりします。

 

それよりもコート買わなきゃな。仕事ではサブカル系の服を着てて、オフの日はできるだけかわいく、女子アナっぽくキメたいものなのですが、前者のためのウィンドブレーカーはしわしわ、後者のためのコートは黒がハゲてきました。無理もない、たぶんどちらも5年は持たせたのだもの。別れがたいけど新しいのが欲しいところです。

両者共合わせて着られるコートを購入したいのですが、どうも食指が伸びず……。最近気になるのはこれ。

figure-online.net

これ、なにわ男子くんの高橋恭平くんが、エアGOGOEXPOの島動画で着てたんですよ。めちゃくちゃかわいくないですか?

j-island.net

ご参考に。

でもこれじゃあ、カンワイイ服には似合わないんだよなあ……そして「アホか?」って言いたいくらいの値段だし……。サブカル系にも女子アナ系にも似合うのならそれくらい出せるのにな……。断念。

 

 

そんなこんなでこんばんは。おはようございます、こんにちは、こんばんは。まがりです。今日は、ここ2年で起こったある出来事について言及していきたいと思います。「あの」出来事です。私は、『私たち』は、大きな事件に、事変に、遭遇してしまったのです。

 

 

とある4月の日曜日、祖母といつも通りのんびりとアッコにおまかせを観ていたときの話です。突然に緊急会見の映像が流され、その画面にはスーツ姿の6人の姿が現れました。堂々と話す彼の姿に心がぐらぐらと揺れるのを感じながら、他のメンバーの顔をどういう気持ちで見ればいいのか正直わからなかったです。それでも動揺は7~8割ほど。覚悟こそなかったものの、発表された詳細には納得しかありませんでした。

 

関ジャニ∞渋谷すばるの脱退。

 

おかしな話、納得してしまったのは、腑に落ちてしまったのは、彼の生き方に対して大きな信頼があったからだと思います。彼の音楽性に対して大きな信頼があったからだと思います。「お前に何がわかるんだ」ともうひとりの自分が私を蔑んでも、確信があった。

渋谷すばるはここで留まっているような人間ではない」と。

 私が知っている彼は非常に敏感な人でした。そして大きな人間でした。繊細で、自分の大事なものを大切に、大切に抱えて生きている人でした。それは、彼の『音楽』という概念にとても大きく作用しました。

 

歌を作っている人の数人が言っていたのを知っています。歌詞にもなっています。

「歌のために生きているわけではないけど、結局は生きている中で起きたこと・感じたことが歌になっちゃうんだよね」

 

彼も、渋谷すばるもそっちの人間でした。確実に。徹底的に。届け、語りかけ、伝え、命を燃やす人間でした。私が見てきた渋谷すばるはまさにそういう人でした。

 

関ジャニ∞は、4年ほど前に大きく音楽に関わる番組を始めましたよね。そう、関ジャム。アイドルを精一杯やる手段として歌って踊る、手を振ってコーレスを繰り返すだけではなく、結成当初からバンドで自分たちの魅力を伝えようとしている彼らにとって、とても大きな刺激・勉強となる番組だよな、と思っています。その番組で色んなジャンルの曲・楽器についての情報量が増える度に、音楽に関わることの難しさ・たのしさ(楽しさ・愉しさ)・つらさ・よろこび(喜び・悦び)について、自分なりの価値観が確固たるものになる番組だなと。音楽構成や音の違い、その時代の流行、作曲者が影響されたものなど……音楽に明るくない私でもすごく楽しく、わかりやすい内容が好きです。

渋谷すばるは緊急会見時にこんなことも言っていました。

「音楽というものをいままでちゃんと勉強したことがないんで、そいうった音楽の学校なのかというのも、いろいろあるんで、そういう所にまずは行って学びたいなと」

これって、絶対(って言うとこじつけですが)関ジャムの「お陰」で、関ジャムの「せい」ですよね? ただでさえ意志が強い彼が、今まで執着してきた『音楽』に確固たる確信を持ってしまえば、どうなるでしょう。

 

絶対、彼はここでは留まらない人間だと思うんですよ。命を燃やすだけ燃やせるなら、全て『歌』に費やしたい、尽くしたい。そういう人間だと思うんですよ。

 

仕方ない、仕方ないことです。

 

 

もちろん別件があって。

 

 

いつもは昼寝に使う仕事の中間休みになんとなくスマホを覗いたときのことです。ロック画面にメールを受信した旨の通知があり、それを開くとこの文字が踊っていました。

 

関ジャニ∞ファンクラブ メール伝言板

2019/9/5号

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    ファンの皆さまへお知らせ

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 ▼関ジャニ∞よりファンの皆さまへ大切なお知らせ

があります。

 

なんのことか瞬時にわかってしまいました。でも、助けを求めるかのように、同じ気持ちを分かち合おうとしたかったのか、信じていない・思い当たりがない人を探したかったのか、すぐにツイッターで「大切なお知らせ」と検索していました。その間も、中間休みが終わり仕事を再開した後も、胸の中心の鼓動の大きさは変わることなく煩わしいほどでした。4月のことがあったから。あの報道であの脱退だから。

動画がアップロードされたのが16時。私が退勤したのは17時5分くらい。会社の階段を降りながら動画が上がっているのを確認し、長さも加味して画面を閉じ、タイムカードを押して外に出て歩きスマホ(危ないな、でもこのときだけは許してくれ(許されるわけはない))で動画を再生しました。

 

「僕たち5人で活動する運びになりました」

 

これからも頑張りますんで、かっこ悪い俺らに着いてきてください。そんな内容。その動画に当の本人はおらず、『錦戸亮』『錦戸さん』『亮』『亮ちゃん』どころか、『彼』の言葉もありませんでした。彼も声明文を残したのみで、動画も何もなく(それは別に良いけど……)、その日を境にエイトレンジャーの更新も途絶えました。当日のエイトレンジャーは、他のメンバーの更新もありませんでした。自粛モードでした。

 

わかってたんです。でも、わからなかった。報道に踊らされながらも、いざ現実になると「あーね」という感想がよぎりました。でも、報道を知ったときの頃の気持ちや考えを思い出すとやはりわからなかった。『関ジャニ∞』から抜け、『関ジャニ∞錦戸亮』を辞めたところで、彼をバックアップする人間は?信頼してオファーしてくれるメディアは?やはり、わからなかった。今でも少しわからない。『関ジャニ∞』というブランドを無くして芸の道を歩いていけるのか、疑問でしかなかった。

 

でも、私は彼の音楽性にも信頼していたんですよ。歌詞やメロディや音楽構成がすごく好きだったんです。まさに『刺さる』という感覚。まず、彼の独りよがりとも呼べる曲と、メンバー(他者)の魅力を引き出す曲が好きだったし、使い分けも良かった。自分の気持ちをメンバーの気持ちを擦り合わせようとする歌が好きだった。

 

彼は、感情で生きている人間だと思うんですよね。利己的とか、そういうものではなく。芸の世界で生きながら、どれだけ自分を魅せられるか。この間話した『アイドル論』にもすごく当てはまる、『自己承認欲求の塊』なんですよ。そこが人間臭くて、錦戸亮を愛すべき動機だ。

自己を認めてほしくて、愛してほしくて、誰かに思いを「伝える」に専念したくなったのだと思う。寄り添う、届ける。それもしたい。けど、それが(も)大きくちゃ疲れる。とにかく、自分の今を知ってもらうために、伝えて、伝えて、感情を全部肯定してほしい。こじつけでしかないと思いますが。そういうことだと思います。

 

「弱音吐くより、虚勢を張ってる方が好き」

すばるくんが脱退したときのレンジャーの抜粋です。ジャムのドキュメンタリーでもそんな風なことを言っていたような気がします。そんな泥まみれの根性がすごく愛しかった。私もそうだった。中途半端に生きている自分が恥ずかしかった。(今でも、画面の向こうで、ラジオの向こうで誰かががむしゃらになっているのを感じるとすごく恥ずかしい。このケジメ、いつ決着がつくのだろうか)だから、余計に愛おしく思った。

 

だから、私は彼の生き方に賛同したい。応援したい。前者の彼だって、生き方を称えたい。崇めたい。

 

 

でもね。

 

 

このふたり、共通することがあるんですよ。

いや、このふたり以外にも身に染みるほど強く伝えてくれるのですが。彼らの中で人一倍強かった。

 

「何年後も、何十年後も」「永遠と呼べるまで永遠に」

 

関ジャニ∞とファン・eighter がいつまでも、いついつまでも、一緒にいようと。明確に願いを、祈りを、執着を。伝えてくれたのが、ふたりでした。

そこにあったのは確かに、愛でした。

 

脱退を決意した瞬間の彼らの胸に、「あの頃」で夢見た「未来」である「今」に、そしてこれから先に、関ジャニ∞とeighter が一緒に居て、そこに自分がいるという「事実」があっただろうか。

 「あの頃」みんなと一緒に夢見た「今」が、私はこんなことになるとは思わなかったよ。

 

所詮、「永遠」なんて、「絶対」なんて、「約束」なんてないんです。

「現実に裏切られても、アイドルは裏切らない」そんなことはないんです。

 

 

私は、大いに裏切られたと思うよ。「みんな」と居たはずの「今」を、捨てられたと思ってる。

だから、永遠に許さないんだ。何があったって。

 

でも、彼らの活動は嬉しく思うし、生き方を尊重したく思います。なにせ、愛すべき人間性を持ったふたりなので。これからも、愛していく。ずっと。

 

 

でも、許さないからね。一生、許さない。「あの頃」夢見た「今」を「守れなかった」事実に、執着していきます。ずっと、ずっと。

 

 

8人まるっと大好きだよ。 

 

 

言いながら、すばるくんの会見のまとめ記事を読み返してほろほろと泣いてます。カフェオレ片手に。

 

 

 

 

「歌のために生きているわけではないけど、結局は生きている中で起きたこと・感じたことが歌になっちゃうんだよね」って色んなところで知ったときに思ったのが、「所詮人間は人間だしなあ。同じ国で似たような生活を送っているのだから、歌詞やメロディが被っても普通だよなあ」です。パクリとかオマージュとか言うけど、作為的なこともあれば、そういうことも大いにあると思います。